ヒマ人だからです。
あ、言い方がよくなかったな?
時間と心に余裕がある人です。
次女が1人暮らしを始めたのでもっと時間に余裕ができると思っていました。
でも、全く、そんなことはなかったです。
確かに送り迎えはなくなったけれど。
それ以外は結局、全部私がやってるわけです。
それに私は47歳。
確実に体力は衰えてきています。
朝5時に起きて夜寝るまで仕事と家事でずっと動き続けています。
五日間が終わると週末はぐったりと疲れています。
今日は休日。
朝から頭痛と吐き気が酷かったけれど。
次女が生活用品がなくなったということで食料や生活雑貨を持ち届けに行ってきました。
今日は配偶者が次女が住んでる方面に買い物に行きたいということで、疲れで頭痛と吐き気がしていた私は運転を任せて少し眠っていました。
そして生活用品を届け、買い物を済ませ家についてやっと休もうと思った時に配偶者の言った言葉は、
「紅葉見に行かね?」
でした。
だーかーらー私は本気で具合悪いんだよって、朝から何回も言ってきたと思うんだけどな?
障害者って健常者が疲れるとか具合が悪くなるってことが理解できないのかな?
それとも具合が悪いってことが紅葉を見に行く元気がないってことがイコールにならないのかな?
もう、会話をするのも疲れてしまう。
私の周りにいる障害者達。
自分と同じカテゴリーの人間のことはとても心配してとても大事にするのに。
健常者のことは一切人間扱いをしない。
なんで?
これが障害ってことなのかな?って考えていました。
でもね、よくよく考えてみると子供の頃からこれが当たり前の扱いだったことを少しづつ思い出してきました。
そんな時本屋さんで目についたこの本。
まだ途中までしか読めていませんが。
読めば読むほど、そうそうそうって心の中でずっと言ってる。
きっと今の自分から見れば間違っていたはずってことを正しいって思って生きてきたんですよね。
だから今の状況を作ったのはきっと自分。
この今のモヤモヤして頭にきている状況を変えるには今までの自分の間違いを正していかなきゃいけないんだろうなって考え始めて、ちょっと頭がこんがらがっています。
だから疲れて頭痛が酷くなっちゃってるのかな。
とりあえず、紅葉は見に行きませんでしたよ。
「疲れた。」この一言で。
こんな気持ちでどんなものを見ても綺麗なんて感じませんから。
これからは女でも健常者でも気持ちがあり、考えがあり、意見があるということを示していこうと思います。
奴隷ではありませんから。