一気に寒くなってしまいましたね。
先月から一人暮らしをしている長女。
高校生の頃はもちろん制服もあったし、あまり出歩くタイプではなかったので私服というものをそんなに持ってはいません。
大学生になって一番悩むのは洋服です。
何となくデザインでこれでいいよ、っていう子ではなく、着心地が納得できなければ絶対に買わないので洋服探しがとても大変。
急に寒くなってきたので洋服を買いに行ってきました。
久しぶりに一緒の買い物と食事。
大学の事や友達との事、たくさん話してきました。
大学での講義中の事。
友人が居眠りを始めたそうで。
で、講義終了後に友人達に、
「○○(居眠りした友人)ちゃんの居眠り姿は水飲み鳥みたいだね。」
と言ったそうです。
そしたらその場にいた友人たちが全員が一瞬無言の後、
「水飲み鳥って何?」
だそうです。
そこで今度は次女が言葉を失うことになったようで。
次女は水飲み鳥くらい誰でも知っていると思って普通に例え話として出したようなのですが誰にも通じなかったのが驚きだったようです。
今回だけではなくてこういうことはよくあるようで。
会話の中に例えや比喩表現をしても通じることがない、と。
でもさすがに水飲み鳥のことは驚いて長女に
「水飲み鳥って誰でも知ってるよね。」
とラインで確認を取ったって言ってました。
長女は
「私達は田舎育ちだから、その子達は都会育ちでしょ。」と。
次女はそれならばと小、中学校の友人に
「水飲み鳥って知ってる?」
と、わざわざ確認。
そしたら「知らない」と。
幼い頃からの友人も知らなかったことにさらに驚いたということを伝えてきました。
確かにそうですね。
相手、によって会話をしているようで会話にならない相手っていますもんね。
簡単にいうと読書習慣のない人。知識のない人。考えのない人。
目の前にあるものを見て自分の感情しか言えない人。
会話に幅も無ければ、ジョークもウイットも無くて粋さが無い。
大学の友人たちの会話はほぼコスメのみだそうで。
あれがいい、これは駄目という会話だけで。
広がらないし、続かない。
ちなみにうちの長女は教師を目指しています。
知識欲も強い。
読書量もあっという間に私を超えました。
会話は小さな頃からそれなりに知識を入れつつきちんとしてきたつもりです。
私も友人達とは何時間でも話していられる方です。
そんな中で育ってきた学習障害の次女は自分が一番ボキャブラリーが少なくて会話ができないと思い込んでいました。
でも外へ出れば出るほど会話をすればするほど、自分はそんなに卑下するような人間じゃないなと、思えるようになってきたようです。
大学でも人間関係はどんどん変わっていくと思いますが、
「なんか、だんだん私の周りに人が集まってくる。」
と次女が言っています。
そりゃあそうです。
会話がきちんとしていて楽しければ人が集まってくるのは当然の事。
つまんない人のところには誰も寄っていきません。
会話ができるって大きな魅力です。
私も会社の面接や自分の趣味をちょっと人に見てもらおうと思った時に相手の方と話しますよね。
その時に
「あなたと話すと一緒に仕事したいと思いました。」
と言われることが多々あります、ありがたいことに。
だから会話ができるってことがどんなに大切な事かわかっていました。
もちろん、人間性が悪ければそれも会話にでてきてしまいます。
そこに読書という知識をプラスすればなお良し。
学習障害の次女にはちょっと難しいかなって思っていたけれど、心配は無用でした。
本人はたくさんの苦労も努力もしてきたでしょうけど。
でも十分、順調に成長してくれてるようです。
最近億劫になって離れていた読書。
せっかく買った老眼鏡。
フル活用でまだまだ成長しなくては。