かこの心も体も健康になるblog

アラフィフからの健康美を追及していきます。

個性ではないと思う。

私の次女は学習障害です。

 

選挙演説で「障害という個性・・・」というような方もいらっしゃいます。

 

でも私は、個性ではないと思います。

これは否定する、という意味でもありません。

 

次女が小学生の時、ひと学年70名ちょっと。

その中に知的障害や軽度の自閉症を含めて13人ほどいました。

その子達の中には授業中に歩き回ったり、騒いだりして授業を中断させてしまうような子もいました。

うちの子は学習障害でしたので授業中はおとなしく座っていましたが授業内容は一切理解できずただ教室にいるだけでした。

 

これって、個性でしょうか?

 

個性って今まで生きて学んできた中で自分で作り上げていく人間性のようなもの、だと思うのです。

ただ、周りに迷惑をかけたり、何をしたらいいかわからずただいるだけ、が個性ではないと思うのです。

 

私がそれを個性だと思っていたならば次女はどんなふうに育っていただろうかと怖くなります。

次女が障害を持っているかも、と思い始めたのは保育園の頃から。

でも本人に支障がなければ、というのと私自身が具合が悪くてとてもそれどころではない、というのがありそのまま放っておきました。

そして高校受験を控えた中2の冬。

担任から「このままでは高校へ行くことは厳しいでしょう。」と。

それからです。

すぐ、専門病院を探しました。

でも、そういう専門病院はとても混んでいて何か月待ちの状態。

受験校を決めるまで1年しかないので焦るばかりでした。

でも幸運なことにキャンセルがでてすぐに受診。

一回の検査で障害だということがわかりました。

 

ただ学習障害に治療法はなく、診断書が出せるだけと、いうことでした。

 

でもね、これで次女が変わっていったんです。

自分が障害があるからみんなと同じようにはできないってことを理解して、それならばどうやったらみんなと同じようにできるかを考え始めたんです。

 

高校受験に間に合いました。

大変なこともたくさんあったようですが本人がしっかりと努力してました。

高校のランクでいえば下の方から数えた方が速い学校ですが普通の高校生活を送っています。

こうやって努力していけば人として個性というものが出来上がってくるんじゃないかなと思ってます。

 

そしてね、体調を治すために栄養学を勉強してきて気づきました。

次女の障害は私が作り上げたものだって。

私が栄養不足で病気のまま産んだから健康な健常者として生まれてこなかったんだってわかったのです。

別に私みたいに病気でなくても食わず嫌いの人、いますよね。

自分は普通に健康に生きてるつもりでも不妊症で不妊治療したり、妊娠中毒症になったり。

これじゃ産まれてくる子に負担がかかりますよね。

病気や障害を持って産まれてくることがとても納得できます。

つまり、親の惰性です。

健康に産むってこと考えてなかっただけです。

それを子供の個性っていうのはおかしいと思うのです。

 

どんな障害にしたって、それは個性って言われたって本人は大変なことがたくさんあると思うのです。

食生活を見直しただけで障害を持たずに産まれてくる子が多くなるのです。

これからママになるって方にこういうことも考えて欲しいなって思います。