普通の生活をしていたつもりでした。
普通に仕事をして、それなりに楽しんで、結婚して、子供を育ててって。
でも、結婚して、体調を崩して、健康になるための栄養学を始めてから全てが変わりました。
うーん、変わったっていう表現であってるかな?
確かに考え方と行動も変わったけど。
一番変わったのは過去への認識。
栄養学を始めてからも度々体調を崩すことはありました。
まあ、それはね。
時間をかけて体調を崩したんだから治っていくのもそれなりの時間は必要だろうとわかってはいるんです。
それでもね、なんでこんなにいつもいつも調子が悪くなるんだろうって苦しんでいました。
今日こそは頑張ろう、明日こそはしっかり動こう、っていつも思うのだけど。
身体がそこまでついていかない。
確かに歳をとってきているっていうのもあるけど。
周りの人達を見ていると持病を持っていてもそれなりに動いている。
私はというと、健康診断でも、何度不調で病院に行っても何一つ病気がないのに。
電池が切れたように寝込んでしまう。
昨日もそう。
せっかくの病院も何も予定を入れていない土曜日。
あれもしよう、これもしたいって考えていたけど。
お昼ちょっと前には起き上がっていられなくてそのまま寝込んでしまいました。
身体が弱いって言ってしまえばそれまでだけど。
何故、弱いのか?ってことですよね。
今まで散々に栄養を摂ってきたのに。
でもね、ずっと思ってたことがあったんです。
確かに結婚して完全同居して身体を壊したことはそうなんだけど。
ここまでダメになってしまった訳。
これがまだ自分の中でもやもやしてて、頭の中でいつまでも恨みつらみがぐるぐると廻ってるんですね。
私はね、もしかあんにゃの長女。
あ、もしかあんにゃとは新潟の方言で農家の次男もしくは三男です。
つまり、次男の嫁が産んだ一番初め娘です。
昭和40年代後半、戦後の復興も終わり、どの家もそこそこの収入や教育レベルも持っていた時代だけれど。
私の生まれた家はそのどれも持っていなかった。
だからね、もしかあんにゃの長女なんてはっきり言えばいらないもの。
普通の育児なんてされてなかった。
産まれてすぐから泣かれるとうるさいので市販のジュース(乳児用ではなくその時代の体に悪かったもの)を哺乳瓶に入れられ一日中くわえさせられていた。
1歳頃の動きだす頃には歩行器に入れられ行動を制限されられていた。
19歳で家を出たけど、家にいた19年間の食事を思い出そうとしたけど何ひとつ思い出せない。
思い出の味がひとつもない。
ってか、何食べて生きてきたんだろう?
一生懸命に思い出してみた。
ピンクと黄色と茶色の3色の棒アイス。
白いミルク味の棒アイス。
コーヒークリームのパン。
バナナクリームのパン。
これくらいしか思い出せない。
ってか、これを思い出して思っっちゃった。
もともと身体ができてなかったんだよって。
身体がきちんと形成されてないってことは頭だってね、もちろんです。
全てがまともに生きていくうえで足りなかった。
だから結婚して完全同居になって酷い目にあっても、配偶者が義母そっくりでもそれが私には全くわからなかった。
周りの人を見ていてね、不思議に思っていたんです。
病気になっても、私より悪い食事をしていても、ちょっと気をつければ普通に寝込まずに生活できるんだなって。
今、思い出してみてわかってきました。
周りの人はみんな、普通に育ててもらっていたんですね。
そこが違っていたんだなって。
やっと、やっと、です。
私は、治すんじゃないんだなって。
いちから育てなきゃいけないんだな、自分を。
栄養学を始める前、本当に体調が悪かった頃。
私の母はまだ生きていました。
何が正しいのか判断できなかった私は体調の事を親に相談したような気がするのですが。
無意味な事してましたね。
私、何でこんなに身体が治らないんだろうってかんがえていたら。
数学で問題が解けなかった時のことを思い出して。
わからなくなったところまで遡って解いたのを思い出したんです。
そしたらね、子供の頃の記憶がほとんど無いってことに気が付いたんです。
それと、栄養学を始める前のことも殆ど記憶に無い。
いつ小学校に入ったかとかどの学校に通ったかとかいつ結婚したかは、覚えてますよ。
痴呆ではないので。
でも、その頃の感情とか、友人や流行ってたもの。
ただ、全てが苦しかったっていうことだけは覚えてる。
そう、ホントに苦しかったし、生きづらかったと思う。
それを無理して、強がりだけで生きていた気がする。
この苦しさの原因が、生まれた時からの栄養不足だったんですよね、きっと。
体も頭も出来上がってないんだもん、普通に生きるのは難しいかったよねって今ならわかる。
このブログ、身体を治すって目的で描き始めたけれど、心機一転。
自分を育てる成長記録にしていこうと思いました。
せっかくの貴重な時間を意味なく寝込むのは昨日で最後にしたいという思いを込めて。